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望遠鏡と顕微鏡

わたしのまばたきとまだたきのあいだでしずかにまばゆいているもの、うごめいているもの、ほがらかに明滅しているもの。

 

 

それは手の中のダンゴムシでもあれば、巨大望遠鏡の底に集められた数億光年のゆらぎの粒でもある。

あるいは、シャッター音の内側に封じ込まれた追憶、今週のテロリズムを告げるフラッシュ、雨上がりの港の虹色の油膜だったかもしれない。

コンタクトレンズと瞳のすき間で繰り広げられる万華鏡の中で、祈りも銃声も等しく醒めた陶酔となる。

極微の細胞たちも、裂開する銀河も、磨き抜かれたレンズを通してモザイクの中にほどかれ、まもられる。

 

 

それらはたいてい、鋭いピントに追い込まれ、はっきりとした虚像を結んでいる。

この輝点の配列だけがそれの真実の姿である、というように。

 

 

けれども現実のファンタスマゴリアが限りなく重ね合わされてゆく一瞬のスクリーン上で、

わたしたちのまばたきが抱きとめるものはけっして確たる輪郭のうちに安らいではいない。

 

 

生と世界の錯乱光を、薄く剥ぎ取られたガラスの上に静かに招くとき。

わたしたちの指先とまなざしから溢れでたものが、現実と虚構のわずかなすき間に蒸着され、名のないプレパラート群となるとき。

そのとき、偶然の色彩とかたち、濁りと透明さを伴って現れる一滴ずつのフラジャイル・リリックを出迎えるために、

わたしたちは自分のまばたきとは別の、魂の窓をひそかに開くのだ。

 

 

大阪大学臨床哲学研究室

高原耕平